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一日一善日記

ことはじめ

友人にジン(小さな雑誌)の制作を勧められたので、その前段階として日記を書き始めることにする。目標は、毎日書く。

クィアな人間のクィアなものの見方がGoogleやBingなどの検索サービスの結果に表示されるのは、意義のあることだ。ツイッターではいくら書いても流れてしまうし、映像は文字起こしをしないと検索されない。その点、自分で設定したブログなら、検索サイト側が意図的にブロックしない限り検索結果に表示させることができる。

意義があるものにしたいという思いを「一日一善」の名前に込めた。

とは言え、クィアな人間だからクィアなことを書こうとねらうのもおかしい。起きたことと感じたことをできるだけ素直に書きたい。

記憶力も上がるだろうか。

今日ジン制作を勧めてくれた友人というのは、極左過激派の御大で、物事を深く洞察することに長けた人物だ。わたしと同居人が映像制作をしたいがやりなれていないことを打ち明けたら、提案してくれた。確かにわたしは文章なら得意だ。

今はとかくトランスやクィアには触れづらい。トランスジェンダーを悪く言うシスジェンダーの女性が目立っているからだ。この人たちを英語の呼称の頭文字を取ってターフと呼ぶ。キャンプでもやりそうだがそういう愉快なものではなくて、その人たちの言うことを苦にして自殺したと見られる人もいるぐらい、人を傷つけることに長けている。

ターフ自身らも女性として生きる苦痛に蝕まれた人のなれの果てだから、わたしは少し同情している。苦しさに負けるのは無理もない。女性差別は人生そのものだから。女性として生まれて生きるとなれば、逃れようがない。トランスは同志で苦しみを分かち合えるとわかってもらえたらどんなにいいか。同じではないけど、性差別の話としては同じだ。男というものによって作られた構造の被害者だ。

(解説を必要とする読者がたくさんいるだろうけど、あまりに込み入りすぎていてしていられないのでしません。スミマセン)

自分の苦しみを他人に転嫁して留飲を下げるような、それでいてフェミニストを自称できるような堕落した人間に殺されるほどバカなことはないよ。フェミニストが性差別の構造を使ってより弱い他人をなじるなんて、あってはならないことだ。そんな人たちに負けてちゃいけない。言い返したり闘ったりはしなくてもいい。できる人だけがやればいい。生き延びることは勝つことだ。同じことだけはしないようにして。

ターフに対しては「何を言ってもムダ!」とわたしは思ってる。わたしは言い返すのを避ける。口が汚くなって徳が下がる。それよりは強く生きられる人を増やすほうを選ぶ。人は過剰に清潔であるよりも多少は汚れに触れたほうが健康でいられる、という事象に似ている。

自分は弱いとくよくよするあなた!

少なくともターフは致命的な何かではないから大丈夫。悪口は、見なければ言われていないのと同じ。見ずに生きましょう。目に見える上司や親のほうがよっぽど怖い!

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