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思想

安倍晋三の死によせて

「これは民主主義への挑戦だ」

「暴力を許してはいけない」

こういう主旨の発言を多くの人がしている。これはソースを示すまでもないだろう。

この発言には一理ある。民主主義は人々が言論や対話によって結論を創造する営みだから、相手を殺してしまうのはその営みを永久に不可能にしてしまうわけで、民主主義を否定しているのと同じだ。

民主主義を最も否定してきたのは誰か?

ところで、わたしの短い人生でも、多くの「民主主義への挑戦」を目にしてきた。その代表例は強行採決=数の暴力だ。(誰でも編集できるから抜けはあるはずだが)Wikipediaから転載する。

2013年(第2次安倍内閣)

特定秘密保護法案

2015年(第3次安倍内閣)

安全保障関連法案

2016年(第3次安倍第2次改造内閣)

TPP承認案、関連法案

2017年(第3次安倍第2次改造内閣)

介護保険関連法改正案
テロ等準備罪(共謀罪)法案

2018年(第4次安倍内閣)

働き方改革関連法案
参議院定数6増法案
統合型リゾート実施法案(カジノ法案)
水道法改正案
出入国管理法改正案

民主党政権が終わり、安倍政権が復活してから、Wikipediaに載せられ続けている分だけでも、これだけある。民主党政権下では3つで、中でも中小企業等金融円滑化法案と子ども手当法案はなぜ強行採決になったのか理解しがたい

一方自民党の方は、すべての法案がクソだ。特定秘密保護法案では「特定秘密」の定義が争点の一つになった。安全保障関連法案は対中敵視・米国追従の強化策だった(ハフポスト)。TPP承認案はグローバル企業の専横に道を開いた。介護保険関連法改正案は利用者の利用料と社会保険料を増やした(減らす方向の議論をしなかった)。共謀罪では警察国家に一歩進んだ。働き方改革は、わたしの実感では、無駄な事務作業が増えたが、中抜きはそのままだった。参議院定数6増はただの選挙対策で、カジノ法案は税金の無駄遣い、水道法改正案は住民インフラ破壊であり、ともに大企業への合法的贈与だ。

日本で覇権を持たない住民を一切無視して権力者(米国)や大企業に有利なシステムを構築した。無いところから取り、あるところに配る。これがアベ政治だった。

生活保護費引き下げは閣議決定

「強行採決」には載っていなくても、2013年の生活保護費の基準額引き下げは第2次安倍政権下だった。生活保護バッシングが吹き荒れ、行政窓口の「水際対策」も注目を集めた。貧乏でも受給をためらう人の存在は今でも時折報道される。

最低賃金を上げながら、生活保護費を引き下げる。社会保険料は増やすのに、生活保護費は維持しない。おかしいな、アベノミクスが成功していたのならこんなことにはならなかったはずなのに。「アベノミクスが成功していたからこの程度で済んだ」とでも言うつもりだろうか。大企業の内部留保はコロナ体制下でも7兆円増えたそうだ。一方で生活保護の予算は3兆円にも満たない。それでも増やさないのはどういうわけだろうか。無いところから取ってあるところに配りたい(アベノミクスを続けたい)だけではないか。

生活の破壊者、民主主義の敵

貧乏人からすれば、自民党は生活破壊党であり、安倍晋三はその象徴として長く君臨していた。遡れば、派遣法改正で小泉・竹中路線で中抜きジャパンランドを確立した小泉純一郎もろくでもなかった。小泉政権が郵政民営化で郵便というインフラを民営化したのは、水道法改正で水道という生命に直結するインフラが「技術力の高い第三者」によって料金を上げられ破壊される方向に道を開いた安倍政権と重なる。竹中平蔵は人材派遣会社最大手のパソナグループの会長だ。

モリ・カケ・サクラ

森友学園の用地値下げに安倍夫妻が関わっていた(とされる)問題、加計学園獣医学部新設に安倍が関わっていた(とされる)問題、桜を見る会を巡る多くの問題、いずれも安倍晋三は関与を否定し、国会は混乱し、無駄な時間と税金が費やされた。森友学園問題では赤城敏夫さんが死んだ。

[日経新聞 2018.5.23] いまさら聞けない 森友・加計問題とは

安倍は、いずれの問題でも処罰されなかった。有罪になる前に死ねたことを死後において感謝するべきだと思う。

司法を曲げ、報道を曲げ、言論を曲げ、牢屋に入ることを拒んだ末に殺された。しかも、犯行の動機は政治信条ではなく怨恨だという。この死は安倍にふさわしい。

喜んでばかりもいられない

自民党が「同情票」というどうしようもないほど愚かな人々の行動を惹起したと言われているし、警察国家化が加速するとも言われているが、とにもかくにも安倍は死んだ。この件はいったんこれまでだ。国葬なんか要らない。

わたしがこの件で最も許しがたいのは、左翼、左派、リベラルとされる人々の言動だ。

これは襲撃直後に知人があるSNSに投稿していたメッセージだ。

「昔は嫌いだったけど、今は助かってほしい・・・」

わたしはすかさずフォローを入れざるを得なかった。「そうですよね。生きて罪を償ってもらわないといけないですからね」と。単に助かったところで、有罪にも政治活動禁止にもならないからだ。

冒頭にも載せたが「民主主義への挑戦だ」という主旨の投稿の数々には最も怒りをかきたてられた。

あなたたちは「アベ政治を許さない」と言ってきたのではなかったのか?

怒りはどこへ行ったのか?

貧乏人から金を取って権力者に配る非民主的な政治(数の暴力)によって声を上げることもできずに殺された人々はたくさんいる。今も低賃金と生活苦で明日をも考えられない人々がたくさんいる。

命が何よりも重いと言うのなら、安倍の命もアベ政治が奪ってきた声なき命も同じ重さのはずだ。なのになぜ、安倍が殺されることだけを「民主主義への挑戦」などと表現するのか? 不公平だ。貧乏人が政治によって殺されることも同様に「民主主義への挑戦」と評されるべきだ。

法律を作って合法的に人を殺し続ける政治の首謀者が一人殺されたことは「民主主義への挑戦」では絶対にない。民主主義の破壊の結末、民主主義の失敗の結果だ。

左翼はバカをやめよう

正直に言うと「こんなことも理解できないバカは社会運動の現場には要らない」と思ってしまった。

一方で「何ぬるいこと言ってるんですか!」と叱咤することもできなかった。

左翼は「原則」にとても弱い。命と健康を人質に取られると反論ができないところがある。安倍暗殺事件はまさに命の問題だ。「殺してはいけない」という原則に基づく思考停止に陥った結果、「民主主義への挑戦」という言葉を、「自分たちは民主主義を実践していますよ」というアピールに使える政治家だけでなく、非民主的な政治に立ち向かっているはずの左翼市民までが合唱するわけだ。

愚かとしか言いようがない。左翼の「原則」は思考をやめて左派の全体主義を支える柱になっている。

だから、これだけは言わなければいけない。

左翼はバカをやめろ。

原則に縛られて考えることをやめた人間に成長はない。

真綿に包まれていたいの?

今の左派界隈は、「優しさ」に汚染されている。

「バカなんて言ってはいけない」

「努力を強要してはいけない」

「できなくたっていいんだよ」

こういった「優しい」言葉の数々は、使い方によっては人をただ堕落させる。人が賢く強くなる方向に導く力は持たない。成長は相手の性格や資質に大いに委ねられている。

「優しい」社会運動も必要だ。それはわかる。言うまでもない。

でも、すべての社会運動が優しかったら、エリート支配はますます容易になる。

それではいけない。支配者、権力者、エリートに立ち向かう類の社会運動には、常に学び賢くなろうとする意志が欠かせない。

人民新聞が自身の組織的な女性差別を認識できず恥をさらしているように、多くの左翼は原則の誤った使い方によって窮地に追い込まれていると思っている。

人にはある程度の努力とある程度の娯楽とが必要で、それらは自分で程度を図るまでどこがちょうどかはわからない。だから、やる前から努力を放棄したり、極端に努力を強いたりすることには反対だ。人は自身の努力と反省によってのみ磨かれる。優しいだけでも厳しいだけでもダメだ。

「真綿に包まれていたいの?」という言葉は、昔、あるリブ世代の女性からわたしに投げかけられた言葉だ。ナイーブで傷つきやすいトランスジェンダーだったわたしは強い衝撃を受けて、「年寄りはわかってくれない」と泣いた。

話の詳細は思い出せないが、この体験で傷つきつつも、強くなること、生きること、闘うことについて考えさせられた。そして実際に当時よりははるかに強くなったと思う。

このエピソードを「老害だ」と呼びたければ呼べばいい。弱いまま、強いもののいいように人生を振り回されるがいい。

わたしはごめんだ。

賛辞

死後間を置かずに気の利いたコメントを投稿し(見事炎上させ)たひびのさん、さすがです。

アベ政治を許さない – ばらいろのウェブログ(その3) (hatenadiary.jp)

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