わたしはいつも擬態しています。
何に?
女性に。
なぜか?
トイレの時に困るから。
髪を伸ばしているときにはほとんど困ることはないです。人は無条件に女性とみなすから。
化粧をしていなくても「そういう人」で通る。
でも髪を短くしていると、顔が女性としては大きめで作りもはっきりしているので、「どっち」かわかりづらくなる。
そういう時に役立つ強力な武器がわたしにはある。
声
「努力したんだね」と誉められるけど、声帯を意識して話し続けることは、そんなに苦痛じゃなかった。しないでいて不当な扱いを甘受するほうが遥かにつらかった。
問題は「高さ」ではなく「音の成分」です。声が低くても女性と感じさせる声がある。これがヒント。声帯で主に使う部分、震わせる部分を全体的に上の方に移動させる。高い声ではなく、低い成分を減らす。
歳を取ってきたからか、じわじわと低くなってきた。だからここ数年は再び喉を意識している。
『今月のフェミ的』に「ブッチのフェミニストが女子トイレを使う時、女性だとアピールするために咳払いをする」というテクニックが描かれているけど、これはわたしもしている。確か知り合いにもいた。
もっこり
チンコはあるのでもっこりも擬態する必要がある。「チンコありますが何か?」という態度は通じない。仕方ない。長いものには巻かれる。
丈の長いボタンシャツがはやっているのが幸いして、最近はもっこりを気にしなくてもいい機会が増えた。スカートも穿くけどパンツも穿く。ジーンズが一番好きな格好だから、合わせやすい服がはやっているのはありがたい。
別に股間なんか誰も見てないけど、バレる要因だから気にはなる。
化粧
嫌い。しない。
人生の先輩方から「したらいいのに」とよく言われたものだ。
でも顔に薬以外の何かを塗るのが気持ち悪くて仕方がない。
わたしの擬態には不要だった。別に美人じゃないけど、あまり不満はない。
擬態する生活
男の子はともかく、女の人はふだんからしてるよね。と思う。
男は感情をあらわにすることを赦されている。不潔だったりだらしなかったりしても女性ほど厳しく指摘されない。化粧をしていなくても不審がられない。女性ほど自分に気をつけなくていい。知ってる。
男として生まれて生きてる人は、たまにコスプレしてみるといいと思う!
ふだんと違う服装は、ふだんと異なる気遣いが要る。すその長さや素材、アクセサリー。指輪をつけるだけでも違和感が出る。
男の子の想像力の悪さ。自覚してる人は意識して変化を作るといいのかもしれないね。
話が変わってしまった。