「経済学」というものを齧ったと言うか舐めたと言うか、経済政策の記事を日々読んだりだとかしていて、今この理解に行き着いた。
経済学は「学」ではない。
経済学は「学」か
経済学は科学の一種だと思う。既知のことを元に未知のことを予想して、確かめる。
科学者「Aという現象はBが原因だろうか?」→実験して確かめる→「BだからAだった。もしかしてCもBが原因?」→……
事例を挙げられたらいいが、いい例が思い浮かばない。「人は絶食したら死ぬだろうか→餓死させる→やっぱり!」という悲惨な実験はあり得る。731部隊は悲惨な人体実験を繰り返しましたネ。
一方「科学でない」とわたしが言うのは、たとえば哲学や数学のこと。
哲学者「AはBだ。某氏の説ではAはBではなくCだとされるが、CはDであり、Dは決してAではない。また、過去にEはAであるとわかっているものの、EはCでもDでもない。かくしてAはBであると証明された。QED」
数学者「1+1は本当に2だろうか?」
「人は絶食したら死ぬだろうか? 実験してみよう」
と科学者が言い出した時、哲学者はおそらく
「もし死んでしまったらどうするんだ。その人の家族が悲しむだろう」
「生き返らせる方法を見つけてから実験すべきだ」
「君の心は痛まないのか? ところで、心が痛むとはどういうことだろう? そもそも心とは何だろう?」
「餓死させるのは違法である」
「その人が同意すれば餓死させて構わない。ところで、何を以て同意を得たと言えるか? 人間はそのような破滅的な実験に進んで同意しないはずだ」
と、思いつくことを全部並べて理屈をこねる。こういう姿を目にすると、人は「もうええやん」と言いたくなるものの、哲学者の目的は実験を止めることではないし、たとえばこういう倫理の分野では無意味なことを考えたりはしないので、「理屈っぽい。屁理屈」と敬遠しないでください……。
実験の前が長すぎるし、誤った認識を持つ哲学者が誤った説を唱えて実験を支持したこともある。ハイデガーがナチ党支持者だったのは有名ですネ。
以上、演繹法と帰納法のお話でした。哲学者に肩入れするのはわたしが哲学科出身だからです。ごめんなさい。
経済学は心の問題を解決する
経済学を「予想と実験を繰り返す科学である」と定義すると、その役目が見えてくる。
わたしは、経済学の役目は大きく分けて「お金の計算」と「予想」の2つにあると考えている。
「お金の計算」は、税金と金利をいくらにするか見定めること。どこからどのくらい取ってどこにどのくらい回すかを見極める。高すぎたり低すぎたりすると、カネの回りが狂って人々に不満が溜まる。この不満を数字で調節する。
「予想」は、人々の不満と先行きの不安を理屈で納得させる手段に使用される。経済学者は、その理屈を過去の特定の地域の特定の時代の状態から導出し、人々に青写真を示してみせ、人々の不満や不安を落ち着かせる。
経済学者がするのは「予想」ということなのがポイント。税金の計算は本当は「計算ができれば誰でもいい」が、経済学者がやると人々は信用するから、経済学者がやる必要がある。
経済学者は予言者ではない
わたしが言いたいのはこれに尽きる。
経済学者はよく以下のような話をする。
- 過去にAはBによって起きた。
- 現在Bが起きているから、やがてAが起きると思われる。
気がついてほしいのは、そもそも「1」が正しい解釈かどうかは「わからない」ということ。「後から説明しただけ」というわけ。もちろん「2」は「予想」。
たとえばかつて「お金を刷り過ぎるとインフレになる」と言われていた。ところが今、日本の借金が1100兆円というわけのわからない金額になっても、札束は手押し車どころか財布にもあふれない。
国債と借入金、政府短期証券の残高を合計したいわゆる「国の借金」が2020年3月末時点で1114兆5400億円となり、過去最大を更新した。
国の借金、過去最大1114兆円 1人当たり901万円―3月末 JIJI.COM 2020年05月08日17時59分
経済学者の回答はこうだ。
――最近、MMTという言葉を最近よく目にするようになりました。
森永:MMTとはmodern monetary theoryの頭文字を取った略称で「現代貨幣理論」と和訳されています。すごくざっくり説明すると、日本のように自国通貨建ての国債を発行できて、かつ変動相場制を採用している国は、どれだけ自国債券を発行しても財政破綻するリスクがないという主張です。
国の借金1千100兆円でも日本は破綻しない…現代貨幣理論=MMTとは? SPA! 7/10(金) 8:51
経済学者は「時代によって理論は変わる」と言うだろう。もしそんな経済学者がいたら、わたしはこう言う。
「過去の経済状況の解釈を「理論」と呼ぶのはやめませんか? 「○○氏の説」でいいじゃないですか。考古学はそうしてますよ。「邪馬台国畿内説」とか」
本当の嘘つきは政府と報道
「経済学者は嘘つきだ!」と指弾したくなるが、違う。嘘つきは政府と大手のマスコミだ。
政府関係者は経済学のいかがわしさを知っているはずだ。わたしは代議士でも弁士でも議員秘書でも番記者でもデスクでもない。友人にもほとんどいないし、いてもほとんど会わない。だからどのくらいの人がいかがわしさを知っているかはわからない。
でも、知っていなければいけない。カネを稼いで税金を納めているのはわたしたちだ。あたかも事実であるかのようなインチキな理屈に基づいて、例えば財政赤字を増やして福祉予算を削るような「税金を適切な方向に動かさない」愚策を推進すべきではない。それは公僕の仕事ではない。
テレビ局を持っているようなマスコミも同じだ。ひとしきり経済アナリストが話した後で、司会者は「経済予想家の○○さんに予想を伺いました」などと理屈のいかがわしさを強調してやるべきだ。いかがわしさを知っているんだから。
知らないわけないですよね?
表とグラフは騙しの印
最後に統計について。
統計は、基準や、線や棒の見た目、単位に手を加えることで、見る人の誤解を誘発できる。
わざとですよ!
わざと、ですよ!!
【わざと】ですよ!!!
表やグラフを見たら「わたしを欺こうとしている」と思ってください。
Q.E.D.(違う)