「カネを刷れ!」というのはMMT(現代貨幣理論)に依拠している。一言で言うと「多くの国が欲しがる通貨はいくら発行しても破綻しない」というようなもの。
「財源がないと言うなら刷ればいい」という考え方はいかにも安直で怪しいけど、概括を理解すればなんとなく納得はする。そんなに難しくない。
貨幣の価値は最終的には信用で成り立っているわけだから「永遠に刷り続けられる、持続的な政策」にはなり得ない。でもそれはどんな政策でも同じだし、理論の名前にも「現代=モダン」と入っているから「ポストモダン」というキーワードを想起させる。
だから、いかがわしさはひとまず無視する。考える手がかりは、素人が見極めて理解できるようなものでもない。考えたい問題は手がかりの向こう側だから、時間もかけていられない。
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前掲の本には以下(のような趣旨の)ことが書かれている。
政府の役目はカネを動かすことにある。
「財源がない」と渋る政策はカネの動きを止める。
じゃあ「財源がある」となったら政府はちゃんと庶民の人生と健康かつ豊かな生活のために使うか?
そんな話、信用できるか!と思う。どうせ兵器を買うだけだ。そして、市場のさらなるテコ入れを続けるに違いない。
要するに……カネを刷るだけでは、一部の人々がさらに金銭的に豊かになって政府の権力に還元される、このサイクルが強化されるだけではないか?
わたし的には、カネを刷る前に、改めて「取る」ことを考えたらどうかと思う。
そもそも、今カネは政府のETFの買入れ(指数連動型上場投資信託受益権)によって市場に流れ込み続け、ものすごく余っている。「株価=景気」という迷信に守られて、株取引だけが行われ、庶民へは流れて来ない。
その資金は、刷っている。
政府は、もう刷っている。
冗談はさておき……刷るだけではたぶん庶民の方に流れて来ない。カネを動かすなら「取って、移し与えて、取って、移し与えて」を強化しないといけない。
だって、取れてないから。所得税の累進課税が(今とはガラッと変わって)まともになっても、それ以外がザルのままなら、取れない。
最低賃金が1500円になろうと3000円になろうと5000円になろうと、生活は豊かにはならない。企業にカネが回らない限り賃金は上げられない。解雇の波はさらに激しくなるし、労働環境はますます悪くなる。
問題は最低賃金じゃない。最低賃金なんかいくら上がったって無駄だ!!!!!
本当に賃上げ左翼はバカだと思う。「はい、上げたよ」と朝三暮四でごまかされ続けているのに、念仏ばかり唱えている。
カネは、政府に直接配らせるしかない。税率を決めて徴税できるのは政府なんだから、取った政府に直接再分配させれば一番速くカネが回る。
この考え方は今なら理解を得られると思うけど……「BI(ベーシックインカム)を作って課税する」というやり方は、もっと議論されていい。腐るほど稼げてる人々からは取り上げられるし、あまり稼げない人たちにはプラスになる。 ※前掲書を参考にしました。
この財源は、量的緩和政策(ETFの買入れ)で膨らんだ市場から取り返す。注ぎ込まれたカネに課税して取り戻し、財源にする。
課税方法はわからない。経済学者の良心を信じたい。
取って配る公正な仕組みを作る前に「刷れ!」と主張するのは愚策だと思う。ナントカ新選組はここを詰めてほしい。