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一日一善日記

部活動の強要には抵抗してもいい

嫌なら部活動、クラブ活動なんかしなくていいよ、というだけの話を、つらつらと。

小学校一年生の時から部活が嫌いだった。

当時のわたしは勉強も運動もほとんどできなかった。同級生と何かをやれば劣等感を刺激されることを予感したからだろう、教員の圧力に六年間抗い続け、帰宅部を貫いた。

同じく一年生で参加させられた通学区のソフトボールチームも意味がわからなかった。

キャッチボールも全くできず、ルールも全然知らず、やりたがってもいないのに、キャッチボールができ、ルールも知っており、やりたがっている、という前提で、初めからしごかれた。ノック(監督が守備に向けて順に打ってくる玉を取って一塁だか二塁だかに投げる、という練習)の最後の捕球者であるライトにわたしは配置され、必ず失敗した。一人が失敗したら最初からやり直しだから、当然、永久に終わらない。「ライト行くぞー!! 取れよー!!!」という監督の怒号と自分の頼りない身体感覚、孤独感は今も覚えている。

何度やり直し、最後にどうなったのかは思い出せない。こんなことで練習など続けるわけがないのに、上級生は通学時に「練習来いよ」と声をかけてきた。いじめられるようなものなのに、行くわけがない。「二度と行くか」と心に決めた。自転車で遠出できるようになってからは、上級生に見つかるとうるさいので、運動場を避けて遊びに出た。

最上級生になった時は清々しかった。ソフトボールチームが存続していたかどうかさえもわからなかった。胸がすく思いだった。

高学年になってから、仲の良かった友達の影響で、走ることだけは好きになっていた。だから、中学では陸上部に入った。そして、わたしは「部活動は楽しくない」ということを体験した。速く走れるようになりたいわけでもないのに、練習しなければならなかった。苦痛でしかなかった。

二年生で「元長距離走者」だという教員が顧問になった。ある雨の日、廊下での練習中、濡れて滑る床で転ばぬようにと一部歩いたところ、呼び出されて暴行を受けた。それで完全に嫌気が差し、翌日に退部した。

学校とはすごいもので、そういうはみ出し者のための「ブカツ」が用意された。「奉仕部」という名前で、他に知り合いの同級生が二名いた。部活動に所属させたい理由が教員側にあったのか、それとも「内申点」の方便として、児童のためを思って用意されたのか。何か説明があったのかもしれないが、特に記憶にはない。

奉仕部は、普段は帰宅部で、たまに校内の清掃活動をするだけという、とても気楽なブカツだった。活動実態はほとんどなかったにもかかわらず、奉仕部として卒業アルバムに集合写真が残っているのは何とも愉快だ。

高校生では、何の因果か、化学部に入った。行っても行かなくてもよかったのに、県内の研究発表会で奨励賞をもらったぐらいには参加したし、文化祭でも展示やワークショップをやった。ユーモアのある顧問で、同級生にも恵まれた。大嫌いな精神論も、化学にはあまり関係がなかった。

何より、その頃のわたしは校内で一、二を争う成績上位者だった。全国模試の英語の校内偏差値が100を越えた。地域で「下の上」か「中の下」の高校での成績だから大した自慢にはならないが、地域の上級生たちが絶対に目指さないような水準の大学を目指せたし、受験も親に許されたし、ギリギリではあったが合格もできた。

第一志望の学部には合格できず、それが新たな挫折になったから、自尊心は「ふりだし」に戻った。でも、それも22年も前のこと。人生は長い。

要するに、化学部での実験がどういったものか、高校生のわたしは理解できたわけだ。小学校時代に宿題や絵をほとんど提出せず、「嫌なことはやらない」人間でも、何とかなる場合はある。

「学校なんか行かなくてもいい」と堂々と言える時代になったけど、それでも通わないといけない子もいるでしょう。仲のいい友達がいたら、「部活の顧問が嫌だから」という理由で学校ごと通わないのは、わたしなら悔しい。

親が悪い、教員が悪い、同級生が悪いと責めたところで、子供はその状況下で耐え忍ぶしかない。

ブカツなんか、くだらない。嫌々がんばったところで、結果が伴わなければ、金メダルも賞金も、何ももらえないんだ。

友達との連帯感? 友達といたくてがんばれるならいいけど、嫌なら、友達とは外で会えばいいでしょう。外で会わない「友達」と合わせたって仕方がない。切ってしまえ。卒業したらいなくなる奴と無理して仲良くするぐらいなら、趣味に時間を使った方がいい。わたしはプログラムばっかり書いていて、結局プログラマーで食っている。人生は長い。

学校にいい思い出を求めたって無駄。わりと楽しんでいたはずのわたしにすら、ほとんどない。嫌な思い出にかき消されたようなものだ。

学校で身につける協調性など、たかが知れている。誰かを黙らせたり、従えたり、排除したりする技術ばかりだ。こんな文章を読むあなたにはわかるはず。そんなものは協調性ではない。あなたを学校や部活で楽しませられるのが真の協調性だ。このことは教員でも理解していないだろう。教員は、大卒の世間知らずがなる仕事だから。

40歳のババァが力技で生き抜いた話は、同じくらい力のある人の役にしか立たない、という留保をつけ加えつつ、どこかで誰かの役に立つことを願って、書き残します。

つくづく人生は長い。

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