放射能 (2)


「命」という原則

社会運動に携わる人たちが口にする「原則」という言葉について考えていて、さっき答えがひとつわかった。




3.11を知らない子どもたち

「3.11」の数字の意味をわかる世代の下限が20歳代前半だと聴いて戦慄した。

考えてみれば確かにそうだ。仮に記憶自体は5歳くらいからわりと鮮明になると思うけど、「世の中で何が起きたか」を覚えてるようになるのは早くて小学生半ばか後半で、中学生以降がふつう(一般的)だと思う。

仮に12歳から世の中の出来事がまともに記憶に残るとして、12に9を足すと、21歳。確かに、そのひとの言うことと一致する。実感としてわかる。昭和天皇が死んだ、今から約30年前の1988年、わたしは6歳。父からお風呂場で「来年は平成元年だよ」と言われて、「元年」が何かを尋ねた記憶しかない。天皇のことなんか全然覚えていない。

チェルノブイリの原発事故が1986年。当時4歳。覚えてない。仮にわたしが街頭で「チェルノブイリから10年!」とかマイクで言われたとしても、14歳。「ふーん、そんなことがあったのね」だ。知らないんだから。

2011年3月に東日本大震災で福島第一原子力発電所が爆発してから8年。2011年生まれなら、8歳。絶対に、覚えてない。これを、たとえば、わたしがかすかに覚えている平成元年を基準にして、「何かあったのは知ってる」程度の記憶が6歳以降に残るとすれば、6+9で15歳。

ここまで考えて、恐ろしいことが起きていることに気がついた。今の15歳の子は「記憶に残る頃から事故について知っている」にもかかわらず、小学校入学当時から「放射線副読本(2011年初版発行)」で「放射能は危険ではない」と教えられていて、かつ社会への関心が芽生えてから数年が経っている。

文部科学省: 放射線等に関する副読本

そればかりか、このぐらいの世代の子は、あと3年ぐらいで、選挙権を得る。「放射能は危なくないって学校で習った」とはっきり認識している子どもたちは、放射能なんて何とも思わず、首都圏に、進学や就職で引っ越して住むだろう。進行する汚染に心と体を冒されるにもかかわらず、それでもきっと多くは、脱原発を叫ぶような党や候補者には投票せず、帰還奨励原発推進をマニフェストとする党や候補者に入れるだろう。学校で習ったから!

貧困と孤独死と経済的徴兵制、在日米軍自衛隊配備、女性差別にトランスジェンダー差別、在日朝鮮人・外国人差別、人手不足で回らない職場と奴隷的移民政策、労働組合弾圧解体、終わりなき昭和の侵略戦争と罪科、優生思想と生命倫理……この子たちは、こんなボロボロの世の中で受ける仕打ちと「学校で習ったこと」との歪みにどう折り合いをつけて生きてゆくんだろう。それとも、わたしが思うよりずっと、適応しているのだろうか? ダブルシンク?

このことを考えるといつも思うことがある。わたしはどうだっただろうか?と。

社会をボールに例えると、わたしが渡された、わたしの世代が渡されたボールもたいがい無茶苦茶だった。先に上げたようなことが明らかになりつつあるか、悪くなっている時期だった。わたしもそのあおりを受けたと思うし、例えば年金制度の崩壊や雇用情勢の悪化などは深刻だった。先の世代を呪ったこともあった。

2010年ごろから世の中に起きていることについて目を向け始めてから、この呪いは誤りだったと気がついた。「今の子たちから、もっと下の世代の子たちからわたしが責められたら、わたしは何て返すだろうか」という問い。

わたしは、世の中を変えた! 良くした! なんて実感は持っていない。前の世代の社会運動に身を捧げてきた人々も、そうだ。もし満足していたら、今も運動するわけがないから。わたしも、元気だったら、運動を続けると思う。

要するに、「ずっと、なんとかしようと動き続けたひとはいたが、抵抗し切れなかった」ということを、社会運動を通じてわたしは理解した。わたしは「ごめんなさい」としか言いようがない。「がんばったけど、だめなんだ」としか。

呪っているうちに、呪われる側になる。あっという間だ。気がついたときに、始める。これしかない。