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思想

右翼になろうよ

右翼と言えば、日本を「天皇を頂点とする神の国」だと思っている人のことだと捉えられがちだけど、実際はそうではない。

わたしが広い意味では右翼であることを証してみよう。わたしが右翼たりうることを示すことができれば、左翼と同様に右翼にも軋轢が生じ、分断させることができる。

さて、日本を神の国だとまでは考えない人でも、外国人参政権など論外だと思っているものだし、現政権の仮想敵国である中朝を敵視しているものだ。外国にルーツを持つ日本在住者に対しては、たとえ帰化していようともどこかで「あの人は日本人ではない」と認識しているものだし、ネトウヨはまさにそのような単一民族主義的な認識に基づいて在日コリアン、在日外国人=外国籍住民、あるいは帰化日本人を侮辱し、差別する。

わたしはそのような右翼ではない。なぜなら、天皇制を認めないからだ。

ただの、どこかの旧豪族の子孫を「日本国民の象徴」に据えるのは、誤っている。なぜなら、共生を不可能にするからだ。日本は極東の小国といえども単一民族国家ではまったくないから、「日本人」を特別視する思想信条を推奨することはできない。そもそも歴史的に見て日本人が誰なのか、どこから来たのかという問題について、専門家の間でも議論が分かれている。この結論が確立されているとはとても言えないばかりか、確立されたところで、2千年以上経過している現代において現実的に意味はない。「日本人」という血統主義的な観念は、混血という現実の前では意味を為さない。

一方で「日本人」の定義を「国籍」に求めるのも誤りだ。日本国籍を持つ人を日本人だとしてしまうと、先に書いたように、日本で生活している外国籍住民を法的に差別することになる。わたしは、アジア圏に生きる日本人として、そのような差別に荷担することはできない。

「わたしは日本人だ」と宣言させることも、当人の内実を毀損するから、許されない。わたしは日本人でしかあり得ないから、宣言する他ない。祖父母のルーツさえ日本国内で、日本語以外は大して話せないし、国外に住んだ経験もない。日本人以外の何者でもない。

ところが、日本以外にルーツを持ちながらも日本で生まれ育った人々も、日本には大勢いる。自身を日本人だと考える人もいれば、そうでない人もいる。そうでない人々に「日本人宣言」を強いるわけにはいかない。

したがって、わたしはこう考える。「日本人」であるかどうかとは無関係に機能する行政を、日本は持つべきだ、と。

排外主義も敵国も持たないことを「日本人」の矜持とすべきだ。それこそがアジア人たる「日本人」の目指す境地だ。

「日本人」にアイデンティティを持つ人間でなければ、このようには書けまい。これが右翼でないと言えるだろうか?

日本は歴史的には野心的で、とりわけ朝鮮半島や中華圏の領有を常に狙っていた。前世紀の侵略戦争はいかばかりも清算に近づかず、北海道や沖縄の先住民を蹂躙した歴史も色あせることはなく、今も民族差別をやめるつもりがない。このような国の「国民」として、この状況は我慢がならない。

日本人は、共生と平和を愛する民族に生まれ変わるべきだ。同じ「日本人」にも、「日本人」と「日本人以外」を区別する意識を捨て去ってもらいたい。分け隔てする理由を滅却してほしい。アジアの日本に共に生き、共に暮らす人々を、その人種、その民族の人として尊重する生き方を覚えよう。日本人の過去に向き合い、将来、日本人という言葉が共生と平和の意味になる日に向かおう。

蛇足1: せっかくなので、天皇が神であるわけがないことも書き添えておきたい。唯一神と見なすにはあまりにも無力であり、神々の一柱と見なすにも頼りない。皇太子が子供として学校に通う様は人間くさすぎるし、大人になっても存在感が薄い。そんな神はいないだろう。もっとも「そのような神なのだ」と言われてしまえば返す言葉もない。そのようなざれごとを生真面目に言うおめでたい頭の人に会ったら、こちらは黙るしかない。神でないと知りつつ開き直ってそう言う人は天皇という人間を政治的に利用する人でなしだから、議論になるまい。

蛇足2: この文章をもって「転向した」と言われるとすれば、不本意だ。わたしには左翼的な面と右翼的な面との両方がある、と言いたいだけだ。国を良くしたいという人がいたら、左翼か右翼かの自認よりも、その主張と行動によって敵か味方かを判断したいと思っている。反天皇を掲げる右翼がいるなら、それは味方かもしれない。

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